父親はアキナに何したんだ
中森 明菜(なかもり あきな、1965年(昭和40年)7月13日 - )は、日本の歌手、女優。本名同じ。1982年5月1日デビュー。1980年代を代表する女性アイドル歌手であり、数多くのヒットナンバーを世に送った。アイドルの当たり年と言われた1982年のデビューで、82年組の1人である。 110キロバイト (13,322 語) - 2021年11月16日 (火) 13:49 |
中森明菜の寂しきファンクラブ会報…
何度も「元気」の2文字が綴られる意味深
〈ねぇみんなー楽しく笑っていられるのはどんな時?〉
表舞台から姿を消して4年、その動向を心配される中森明菜(56)がこのほどファンクラブへの会報でそうつづった。
明菜は独特の筆致でこう続けている。
〈さみしい、かなしい どうガンバッテもなるようにしかならない? ほんのわずかな喜びさへあれば緩和できるのでしょうが、そうもいかず! まずはっ心の元気! 心の元気が体も元気にしてくれますぅ!きっとォ!〉
近況報告もなければ、活動予定も、ない。
ただ、「元気」と何度も書いた肉筆からは、依然として体調がすぐれず、元気を出したいと願う明菜本人の思いが垣間見える。
ベテラン芸能記者の青山佳裕氏が言う。
「昔から明菜さんは完全主義者。ひとつでもファンに喜んでもらえないようなところがあれば、コンサートのステージに立つことも躊躇してしまう。そして、うまくいかない自分を悔やみ、ふさぎこんでしまうのです。今回の会報からも、まだ思うに任せない彼女の気持ちが感じられ、ファンの方は心配でしょうね。どう見たって、いままた後ろ向きな彼女の姿、復活にはほど遠い厳しい現在を連想してしまうでしょうから」
■父親とは26年も音信不通
円満だった家族関係も1995年に実母が亡くなると、一切の連絡を絶った。
ことしで88歳の実父、明男さんは東京都清瀬市の郊外で1人暮らしをしつつ、明菜への呼びかけを続けてきたが、最近は文春オンラインでこんなコメントも伝えられた。
「明菜が会いたくないのなら、もう会わなくてもいい。もういいです」
携帯も持っておらず、連絡の取りようがないのだそうで、26年の音信不通、断絶が諦めの境地へとなってしまったか。
「かつて明男さんに頼まれて、明菜さんのマンションまで、『連絡を下さい』というメッセージを届けたことがあります。しかし、それにも全く、なしのつぶてだったそうです。妹の明穂さんが2019年、52歳の若さで亡くなったときも、葬儀にも参列されなかったと聞いています。関係者の間でも、彼女の近況はおろか目撃談さえ聞こえてこないままなのです」(青山氏)
このファンクラブ会報は、唯一、明菜の生存確認ができるものだとしてファンの間では大事にされている。
花の82年組の筆頭格にして、いまや伝説的存在となっている中森明菜。
楽しく笑う、元気な姿をそれでもファンは心待ちにしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ab403a3510309352d126e2e73509d1ab602f1e0
(出典 i.imgur.com)
結婚して家族を作らないからこうなる
もういいよ
悲しいな
あの時終わったよな
明菜さま~!
まあ頑張って
近藤真彦はメリーに宛がわれたブスと結婚して人生幸せだったんかな?
ここまできたら本人の問題かもな
父親はアキナに何したんだ
独身の成れの果て
父親って週刊誌の取材には定期的に答えてるアレだろ
全部マッチが悪い
えっ?中森明穂死んだの?
初耳なんだけど
マッチ許さん
私は泣いたことがない
伝説の金屏風会見みたかったお(´・ω・`)
やっぱり結婚して家族かいた方がいいな
中森明菜激白 雑誌「マルコポーロ」1995年1月号
(出典 auctions.c.yimg.jp)
(出典 auctions.c.yimg.jp)
「家族へ愛想が尽きたこと」
家族のために17歳で働き始めた。
87年9月・「大明華ビル」開店
(1Fには、父親、長姉夫婦、次兄夫婦のそれぞれ経営する飲食店。2・3Fは賃貸居)
88年5月・父親のお店だけが営業する事態に。
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五年前の、あの騒動のときも、家族は私の気持ちなんて、結局、何にも分かってくれなかった。
事務所のいうことは信じても、私を信じてはくれなかったんです。
家族って他人じゃないから余計に困るんですよね。
たとえば恋愛なら、たかが・・・って自分に言い聞かせられるじゃないですか。
相手はしょせん他人なんだから、仕様がないじゃない、そう割り切れるでしょう。
でも、血が繋がっていると、どんなにわかってくれなくても、捨てようと思っても捨てられないんですよね。
昔、長女の姉とか、次男とか、父親にお店を出してあげたんです。
でも自分が苦労して出したお店じゃないから、すぐ潰しちゃう。
頑張らなんですよ。
その後も四年も五年も仕事しないし、何かちょっとやっても、すぐにやめちゃう。そんなのを見ていると、私が歌手になったのが間違ってたんじゃないのか、そう思えたりして・・・。
そんな一方で、家族は私に内緒で事務所から毎月お金をもらったりしていた。
変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです。
・・・(中略)・・。
五年前の騒動のときは、自分が今まで生きてきたのは一体何だったのだろう?
そんな絶望感でいっぱいで・・・。
会社に対しても、家族に対しても、とにかく人間が誰も彼も信用できなくなったんです。
私が一生懸命にやってきたのは一体何だったのか?ってそう思ったときには、もう、正直、恋愛どころじゃなかったです。
近藤さんには対しては、騒動に巻き込んで大変な迷惑をかけて申し訳ないことをした、そんな思いだけでした。だから、数ヶ月後に彼とはお別れしました。
永久に名を残すぐらい活躍したんだし
晩年にどうなろうと良いんじゃね?
ファンクラブ会員ってどれくらいいるの?
は?秋穂死んでたのか
明菜は生きててくれてさえいればそれでいいの
明菜ファンのマツコとかミッツがこう言ってるんだからそっとしといてやれ
華原朋美のBADルートって感じ
結婚しとけよ
もう全盛期を知ってるのも中高年しかいないわな
完璧主義者が失敗すると、その失敗を失敗として受け入れられないので、失敗し続ける
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